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(全国妖怪文庫・第4弾「東西で比較!ご当地妖怪文庫ガイド」)伝説探訪 東京妖怪地図/田中 聡

kage

2014/10/03 (Fri)

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日本人の妖怪愛は限りなく深い。

歴史を見れば、古代から連綿として、絵に物語にと妖怪を愛し続けてきたのである。

そんな妖怪ダイスキDNAを呼び覚ましてくれる文庫本を紹介しよう。

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各地で生まれ、語り伝えられ、その地域の特徴を映す妖怪たち。

第2弾では、東西各地に伝わる妖怪をディープに知る文庫をご紹介。



アイコンりす今回のBook案内人・・・・Arika


東日本編


野暮と化け物は箱根から先、なんて真っ赤な嘘。東日本にもお化けは立派にウヨウヨしている。日本の民俗学を育んだ東北の豊かな化け物の伝承、そして江戸の町文化が生んだおかしな妖怪たちを、実際の伝承地に、そして書物の中に訪ねていこう。


(全国妖怪文庫・第4弾「東西で比較!ご当地妖怪文庫ガイド」)・・・江戸(東京都)
 伝説探訪 東京妖怪地図 /田中 聡

伝説探訪 東京妖怪地図 (ノン・ポシェット)伝説探訪 東京妖怪地図 (ノン・ポシェット)
(1999/07)
田中 聡

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Arikaアイコン(小)1 妖怪のさきわけ都市・東京を歩く。

世界屈指の大都市・東京は、また世界屈指の妖怪都市だった。著者の田中聡が東京各地に伝わる妖怪や幽霊の伝承をピックアップし、伝承の歴史的背景を解説する。渋谷や麻布、新宿など今ではビルの立ち並ぶ都会も一皮剥けばお化けだらけ。地図も掲載されているので、本書を片手にお化け観光なんていかが?



■主な『江戸』『東京』の妖怪

黒坊主(くろぼうず)
明治時代の東京に現れたという妖怪、または熊野の民話、江戸時代の奇談集『三州奇談』などに登場する妖怪。黒い坊主姿の妖怪とされる。

『郵便報知新聞』第663号の記事によれば、東京都の神田の人家の寝室に毎晩のように現れ、眠っている女性の寝息を吸ったり口を嘗めたりしたとある。その生臭さは病気になるのではと思えるほど到底耐え難いものであったため、我慢できずに親類の家に逃れると、その晩は黒坊主は現れず、もとの家に帰るとやはり黒坊主が現れるという有様だったが、いつしかその話も聞かれなくなったことから、妖怪は消滅してしまったものとみられている。この東京の黒坊主はの姿は、その名の通り黒い坊主姿とも、人間の目にはおぼろげに映るためにはっきりとはわからないともいう。口だけの妖怪ともいい、そのことからのっぺらぼうの一種とする説もある。

文献によっては東北地方の妖怪とされているが、これは民俗学者・藤沢衛彦の『妖怪画談全集』で、前述の『郵便報知新聞』の挿絵が掲載され、その下に解説文として「夜人の寝息を吸い口を甜る黒坊主・奥州の山地々」と記述されたことによる誤解と指摘されている。また、熊野の七川(現・和歌山県)では、山中で人間を襲う真っ黒な怪物を黒坊主と呼び、ある者が出遭った際には背丈が3倍ほどに伸び、銃で撃つとそのたび背が伸びて何丈もの怪物と化し、逃げ去るときには飛ぶような速さで逃げ去ったという。同様に背の伸びる妖怪・高坊主の一種とされている[6]。同様に『三州奇談』には、石川県能美郡(現・能美市)の長田川のそばに目鼻や手足の区別のわからない黒坊主が現れて伸び上がり、ある人が杖で突くと、川へ逃げ去ったとあり、正体はカワウソともいわれた。これらのほか、大入道や海坊主などの妖怪の別名として、黒坊主の名が用いられることもある。



オゴメ
東京都三宅島に伝わる妖怪。木の上で赤ちゃんの産声ような声で泣き、「オゴメ笑い」と呼ばれる特徴的な高笑いをするといわれる。姿を人に見せることはない。木魂(木の精霊)の一種とする説もある。民俗学者・大間知篤三の著書『神津の花正月』では、三宅島の山中で笑い声をたてる怪鳥であり、別称をウグメとされている。産女を鳥の妖怪とする伝承があるが、オゴメはそれに類するものとの説もある。延宝時代の怪談集『諸国百物語』にある「靏の林、うぐめの化け物の事」によれば、京の都の林に夜な夜な「うぐめ」という化け物が現れて赤ちゃんのような声で泣いたといい、ある者が正体を見極めようと刀で斬り落としたところ、その正体は大きなゴイサギだったという。


通り悪魔
気持ちがぼんやりとしている人間に憑依し、その人の心を乱すとされる日本の妖怪。『世事百談』『古今雑談思出草紙』などの江戸時代の随筆に見られ、通り者(とおりもの)、通り魔(とおりま)ともいう。通り者を見て心を乱すと必ず不慮の災いを伴うので、これに打ち勝つためには心を落ち着けることが肝心だという。その姿は諸説あるが、『世事百談』『古今雑談思出草紙』では白い襦袢を身に纏い、槍を振りかざした奇怪な白髪の老人だといい、『古今雑談思出草紙』では無数の甲冑姿の者たちだったともいう。現代においても、理由もなく殺人を犯す人間を「通り魔」というが、かつてはそのような行ないは、この通り者が原因とされていた。




野衾(のぶすま)/飛倉(とびくら)
江戸(現 東京都)に伝わる妖怪の一種。ムササビのような姿をしていると言われ、実在のムササビやモモンガの異称として野衾の名が用いられることもある。

伝承
木の実を食べるほか、火を食べる、人や動物の生き血を吸うともいう。江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がおり、その獣を殺したところ、イタチのような姿で左右に羽のようで羽でないものを備えており、ある人が「深山に住む野ぶすまとはこれだ」と教えたとある。空を飛んで来て、人の目や口を覆うともいい、江戸時代の古書『狂歌百物語』には「飛倉」の名で、人の顔を覆う姿が描かれている(画像参照)。享保時代の随筆『本朝世事談綺』には、野衾が夜に人の持つ松明を剪(き)って消し、その火を吹くので妖怪として恐れられたとの記述がある。江戸時代の奇談集『絵本百物語』によれば、長い年月を経たコウモリが妖怪化したものとされ、前述の『狂歌百物語』の「飛倉」はコウモリのような姿で描かれている。歌川国芳による浮世絵でも『美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図』として、剣豪・宮本武蔵がコウモリ状の野衾を山中で退治する姿が描かれているが、史実ではなく、武蔵の諸国武者修行の話を脚色したものとされる。



札返し(ふだかえし)/札へがしは
江戸時代の古書『狂歌百物語』にある霊。外観は、一般的な幽霊画のように脚のない霊として姿で描かれている。お経や神様、仏の絵が描かれた護符が家の戸に貼ってあると悪霊が家に入ることができない。その護符を剥がそうにも自分の手で触れることはできず、生きている人間ならそれらの効力はないので、人間を威したり、賄賂を渡したり、何らかの約束をすることで剥がしてもらおうとする霊のことをいう。こうした欲心から札返しに協力した者には、必ず報いが訪れるという。『狂歌百物語』では「はがさんと 六字の札を 幽霊も なんまいだあと 数えてぞみる」「ただいちの かみの御札は さすがにも のりけなくとも はがしかねけり」など、護符と幽霊の関連などの短歌の記述を見ることができる。小泉八雲の著書『化けものの歌』にも札返しの名が見られ、これは江戸を舞台とした怪談『牡丹灯籠』の一場面のこととされる。同作の亡霊・お露は毎晩のように愛する男のもとに通い詰めるが、男はこの世のものではないお露を恐れて家中の戸に護符を貼るので、お露は隣家の者に護符を剥がさせようとするのだという。



弁慶堀の河太郎(べんけいぼりのかわたろう)
江戸城の外堀である弁慶堀に住んでいたといわれる河童。松浦静山の『甲子夜話』に記述があるもので、名称は妖怪漫画家・水木しげるの著書によるもの。その昔のこと。江戸のとある侍に仕える従者が、帰り道に弁慶堀のそばを通っていた。既に夜も更け、周囲には灯りもなくまったくの闇であった。ふと、堀の中から従者を呼ぶ声が聞こえた。見ると、堀の中で小さな子供が手招きをしていた。従者は、さては子供が水に落ちたかと思い、助けるために手を差し伸べた。しかしその子供は、まるで岩か何かのようにまったく動かず、それどころか従者の方がどんどん堀の中へ引き込まれてゆく。従者は必死の思いで手を振りほどき、家へ逃げ帰った。家に帰りついた従者を家人たちが迎えると、従者は放心状態の上、全身がずぶ濡れでひどい悪臭が漂っていた。家人たちは水をかけて洗ってやったが、臭いはどうしてもとれなかった。翌日になると従者は正気に戻ったが、異様な疲労感に満ちていた。やがて4~5日が過ぎると、疲労感は抜け、全身の悪臭もようやく消え失せた。一連の出来事を知った人々は、弁慶堀に住む河太郎(河童)の仕業だろうと噂したということである。



三つ目小僧(みつめこぞう)
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌキは本来は百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれを高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。



三つ目入道(みつめにゅうどう)
3つの目を持つ入道(僧)の姿をした日本の妖怪。明治時代、東京府(現・東京都)神田区の神田元柳原町に三つ目入道が出現した事例が、錦絵新聞『東京日日新聞』第445号に記事として報じられている。1873年8月4日(明治6年)午前3時頃、梅村豊太郎という男が地震で目が覚めた後に寝つけずにいたところ、一緒に寝ていた子供が突然激しく泣き出した。何事かと思ったところ、枕元に三つ目の怪僧が立っており、しかも次第に巨大化し、天井を突き破るほどの大きさとなった。しかし度胸の据わった豊太郎は怪僧の裾を引っ張って力任せに倒したところ、その正体は古狸だったという。また長野県東筑摩郡の教育委員会の調査による資料では、同郡に伝わる妖怪として「人前で踊るもの」とされているが、それ以外の記述はなく、詳細な特徴などは不明。江戸時代後期の黄表紙においては見越し入道の一種として、首の長い三つ目の妖怪がしばしば描かれている。

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