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(全国妖怪文庫・第4弾「東西で比較!ご当地妖怪文庫ガイド」)草迷宮/泉 鏡花

kage

2014/10/04 (Sat)

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日本人の妖怪愛は限りなく深い。

歴史を見れば、古代から連綿として、絵に物語にと妖怪を愛し続けてきたのである。

そんな妖怪ダイスキDNAを呼び覚ましてくれる文庫本を紹介しよう。

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各地で生まれ、語り伝えられ、その地域の特徴を映す妖怪たち。

第2弾では、東西各地に伝わる妖怪をディープに知る文庫をご紹介。



アイコンりす今回のBook案内人・・・・Arika


東日本編


野暮と化け物は箱根から先、なんて真っ赤な嘘。東日本にもお化けは立派にウヨウヨしている。日本の民俗学を育んだ東北の豊かな化け物の伝承、そして江戸の町文化が生んだおかしな妖怪たちを、実際の伝承地に、そして書物の中に訪ねていこう。


(全国妖怪文庫・第4弾「東西で比較!ご当地妖怪文庫ガイド」)・・・逗子(神奈川県)
  草迷宮/田中 聡

草迷宮 (岩波文庫)草迷宮 (岩波文庫)
(1985/08/16)
泉 鏡花

商品詳細を見る


Arikaアイコン(小)1 草原に佇む、妖しき化け物屋敷に迷い込む。

諸国に旅する小次郎法師が聞いた、三浦半島にある魔所・大崩壊(おおくずれ)に近在する化け物屋敷の噂。宿で出会った葉越明という青年は、ある理由でその屋敷に日参していた。そして、面やつれした明が寝静まると、悪左衛門という魔者が現れ、静かに物語りを始める・・・・・・・。泉鏡花が紡ぐ妖美な世界、夢幻の妖怪譚。




■主な『逗子(神奈川県)』の妖怪

後追い小僧(あとおいこぞう)
神奈川県丹沢地方東部に伝わる妖怪で、丹沢の山霊(山の神霊)の一種。姿は4歳から10歳程度の子供のようで、ときには15歳ほどのこともある。服装はぼろぼろのむしろや、絣(かすり)の着物、毛皮などを纏っている。

山中を人間が歩いていると、後追い小僧は無言でその者の後をつけて歩く。つけられた者が気配を感じて後ろを振り向くと、木や岩の陰に隠れ、姿を消してしまう。後を追うだけでなく、ときには道案内のように前を歩くときもある。土地の古老によれば、日中の午後に現れることが多いというが[1]、夜に現れる場合は提灯のような火を灯している。

声を出すことも物音を立てることもなく、人間に対して危害を加えることもないが、何度も後追い小僧に遭った人は、食べ物(握り飯、芋、菓子、干し柿など)を辺りの岩や切り株の上に置いて行ったという。後をつけられている者が山を抜けて里に近づくと自然に消えるという説や、夜に現れた場合は声をかければ消える、などの説もある。

古来より山は死後の世界に近い場所とされ、死者の霊が集まってくると考えられていたことから、後追い小僧は、そうした霊が生きている人間になついて現れた者という説があり、実際に前述のように、後追い小僧のために食べ物を残すのは、後追い小僧が自分の亡くした子供の霊ならばと思っての行動とされている。




大首(おおくび)
空中などに巨大な生首が現れるというもの。江戸時代の鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にこの名の妖怪画があり、解説文によれば、お歯黒をつけた巨大な女の生首が雨の夜空に現れるものとされるが、これは伝承上にある妖怪ではなく、実際には当時の破戒僧を風刺した創作と指摘されている。江戸中期の妖怪物語『稲生物怪録』を描いた絵巻『稲亭物怪録』(慶應義塾大学三田メディアセンター、広島県立歴史民俗資料館所蔵)では、物置の戸を開くと巨大な老婆の顔が出現したという怪異が、「大首の怪」の題で述べられている。同物語の主人公・稲生平太郎が顔を火箸で突いたところ、少しも動じることはなく、ねばねばとした感触だったとある。



川天狗(かわてんぐ)
東京都奥多摩、西多摩郡小河内村(現・奥多摩町)、埼玉県秩父地方、神奈川県津久井郡(現・相模原市)、山梨県南都留郡の道志川に伝わる妖怪。天狗の中でも水辺に好んで住み着くものといわれる。神奈川県津久井郡内郷村(現・相模原市)では川天狗は姿を現すことはなく、夜に人が川で漁をしていると、大きな火の玉が突然転がって来ることがあり、これが川天狗の仕業とされていた。このようなときは、河原の石の上を洗い清め、獲れた魚を供えるとこの怪異は失せたという。また人が川に網を放つと、川天狗も姿を見せずに網を放つ音を立てたという。誰もいないのに大勢の人声が聞こえたり松明の火が盛んに見えるものも、川天狗と呼ばれた。



血塊(けっかい)
埼玉県、神奈川県に伝わる産怪。カタカナでケッカイとも表記する他、長野県下伊那郡では同様の産怪をケッケという。外見についての伝承は乏しいが、舌が二枚有り毛が逆さに生えていて、牛に似た顔の毛むくじゃらの姿という説がある。神奈川の足柄郡三歩村では、産み落とされた血塊は血まみれのまますぐに動き、囲炉裏の自在鉤を昇り出す。こうして血塊が逃げ切ると産婦は死んでしまうと言われていたため、前もってしゃもじを用意して自在鉤に括りつけておき、血塊が出現して自在鉤を昇り始めたらすぐさま、しゃもじで打ち落としたという。



逆柱(さかばしら)
日本の木造建築における俗信の一つで、木材を建物の柱にする際、木が本来生えていた方向と上下逆にして柱を立てることを言う。古来より逆柱にされた木は、夜中になると家鳴り等を起こすとも言われていた。また、家運を衰微させるほか、火災などの災いや不吉な出来事を引き起こすと言われており、忌み嫌われていた。妖怪漫画家・水木しげるによれば、逆さにされた柱からは木の葉の妖怪が出現する、もしくは柱自体が妖怪と化すともいう。


鳳そう魚(ほうそうぎょ)
江戸時代の日本で発見された怪魚。昭和初期の民俗学者・藤沢衛彦の著書『変態見世物史』に記述がある。天保9年(1838年)6月、相州(現在の神奈川県)浦賀の浜辺にいるところを発見され、生け捕りにされた。外観はエビのようであったが、頭部はショウジョウ、顔は馬またはネコに似ており、ヒレは四肢のようであった。両の目玉は鐘のように光り、腹は金色に輝いていたという。日中は通常の魚のように海中を泳いでいるが、夜になると水から上がって陸上で生活していたと伝えられている。名称の「そう」の字は上半分が「赤」、下半分が「相」であり、そのために日野巌の著書『日本妖怪変化語彙』では縦書きで「鳳赤相魚」と表記されている。



舞首、舞い首(まいくび)
神奈川県真鶴町に伝わる怨霊。江戸時代の奇談集『絵本百物語』で語られている。鎌倉時代中期の寛元年間。小三太、又重、悪五郎という3人の武士がいた。伊豆の真鶴の祭の日、酒の勢いで3人が口論となり、やがて刀の斬り合いとなった。怪力を誇る五郎が小三太を斬り捨て、さらに又重を斬ろうとするが、又重は山中へ逃げ去った。五郎は小三太の首を切った後に又重を追いかけた。又重は斬り合いに応じたところ、五郎がつまづいて転んだので、隙をついて五郎を斬りつけた。五郎は斬られてなお起き上がって又重に立ち向かった。2人は組み合っている内に足場を踏み外し、海に転げ落ちた。水中で2人は互いの首に刀を当てて、2つの首が切り落とされた。首だけになっても2人は水中で争い続け、又重の首が五郎の首に噛み付こうとしたとき、そこへ斬り落とされた小三太の首が躍り出て五郎の首に噛み付いた。こうしてこの海では3人の首が食い争い、夜には火炎を吹き、昼には海上に巴模様の波を起こしたので、巴が淵と名づけられたという。



箕借り婆(みかりばば)
関東地方に伝わる一つ目の老婆の妖怪。神奈川県横浜市、川崎市、千葉県、東京都などで、旧暦の12月8日または2月8日に人家を訪れ、箕や人間の目を借りて行ってしまうという。一つ目小僧と共に家を訪れるともいう。箕借り婆を避けるには、家の門口に籠やざるを出したり、目籠を竿の先に付けて家の棟に立てておくと良いとされる。これは、一つ目の箕借り婆が目(編目)の沢山ある物を苦手とするためと言われている。横浜市港北区鳥山町裏ノ谷戸では、欲張りな箕借り婆が土に落ちた米粒までをも拾いにやって来て、口に咥えた火で火事を起こすという。これを避けるため、12月1日に庭に落ちこぼれた米でツヂョー団子という団子を作り、もう拾う米はないと言う意味で戸口に刺しておく風習がある。




溝出(みぞいだし)
江戸時代の奇談集『絵本百物語』にある死霊譚。ある貧乏人が死に、始末に困って葛篭に入れて捨てたところ、亡骸の皮がひとりでに剥がれて白骨となって歌い踊り出した。妖怪探訪家・村上健司によればこれは、どんな人間でも遺体を粗末に扱うと必ず怪異があるとの意味とされる。また『絵本百物語』中の「溝出」本文によれば、北条高時の時代。鎌倉に戸根の八郎という武士がおり、家来の1人が死んだので櫃に入れて由比ヶ浜の海に捨てた。後に櫃は波で岸に打ち上げられ、中から歌声が聞こえてきた。それを聞きつけた寺の僧が櫃を調べると、中には海水に晒された白骨があったので、寺で手厚く葬った。後に新田義貞が鎌倉へ攻め入った際、北条時行がそれを迎え撃つために由比ヶ浜の軍勢を敷き、その中に戸根の八郎もいた。別の場所に敵兵が攻め入ったとの報せを受け、時行軍はそちらへ馬を走らせた。しかし八郎だけは追いつけずに取り残され、時行軍を追う敵陣の格好の的になり、矢に貫かれて命を落とした。その死に場所は奇しくも、八郎が家来の亡骸を捨てた場所だったという。妖怪研究家・多田克己は、八郎は供養を怠って家来の亡骸を遺棄したため、その家来の祟りが八郎を取り殺したとみている。



山男(やまおとこ)
日本各地の山中に伝わる大男の妖怪。外観は、多くは毛深い半裸の大男とされる。言葉は、土地によって話す、まったく話さないなど異説がある。人を襲ったり、これに出遭った人は病気になるなど人間に有害な伝承もあるが、基本的には友好的で、人間に対して煙草や食べ物など少量の報酬で、荷物を運んだり木の皮を剥いだりといった大仕事を手伝ってくれるという。

■神奈川版「山男」
津村淙庵による随筆『譚海』によれば、相洲箱根(現 神奈川県足柄下郡)にいる山男は、裸体に木の葉や樹皮の衣を纏い、山中で魚を獲り、里で市のある日には里人のもとへ持ち帰って米に替えたという。住処を確かめようと後を追っても、絶壁すらない山道を飛ぶように去ってゆくため、決して住処をしることはできないという。小田原の城主はこれに対し、人間に害をなすものではないので銃で撃つことなどないようにと制していたため、この山男に敢えて危害を加えようとする者はいなかったという。



雷獣(らいじゅう)
落雷とともに現れるといわれる日本の妖怪。東日本を中心とする日本各地に伝説が残されており、江戸時代の随筆や近代の民俗資料にも名が多く見られる。一説には『平家物語』において源頼政に退治された妖怪・鵺は実は雷獣であるともいわれる。明治時代に近代化が進んで以来、雷獣は河童や人魚といった妖怪・幻獣に比べると知名度が低下したものの、江戸時代には雷獣の知名度は非常に高かった。航空技術のない当時の人々にとって、空とはまったくの未知の世界であり、空の上がどうなっているかはあれこれと想像を巡らせるしかなかったため、空の上にはまだ知られていない生物が住み、それが落雷などの天変地異によって地上に落下するものと考えられ、雷獣の伝承が生まれたといわれている。

昭和2年(1927年)には、神奈川県伊勢原市で雨乞いの神と崇められる大山で落雷があった際、奇妙な動物が目撃された。アライグマに似ていたが種の特定はできず、雷鳴のたびに奇妙な行動を示すことから、雷獣ではないかと囁かれたという。
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